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桐島聡容疑者を名乗る男が、指名手配されていたビル爆破事件への関与を否定する一方で、別の爆破事件に関わっていたという趣旨の話をしていたことが分かりました。
桐島聡容疑者 「岡山に、女と一緒にいる」
1975年、広島県の実家に電話をかけ、そう告げると、桐島容疑者は姿をくらませ、足取りが分からなくなりました。それからの“空白の50年”が少しずつ明らかになってきました。
桐島容疑者を名乗る男は捜査員に対し、神奈川県内で暮らし始めた経緯や、行きつけの店などを話していたといいます。内田洋の名前で、25年ほど前から通うバーが、藤沢市内にあったことも明らかになっています。その25年の生活を目の当りにしていた、バーの店長は…。
男が25年通っていたバーの店長 「逃げたり隠れたりしている様子は全くなかった。仕事は真面目だし、仕事終わって自炊して、その後に飲みに来ていた。音楽が好きで、バンドを組んでいたぐらい人生を楽しんでいた」
また、銭湯でよく顔をあわせていたという人も…。
男の通っていた銭湯の常連客 「気付かない。全く気付かない。こういう顔じゃないもの。結構、気さくなんだよ。話の輪にも入ってくるし、自分でもしゃべってくる」
男は、桐島容疑者が指名手配された事件とは別の爆破事件への関与をほのめかしていました。1974年から75年にかけ、アジアに進出するゼネコンや商社を狙い、爆破事件を繰り返していた極左暴力集団『東アジア反日武装戦線』。桐島容疑者が属していた組織です。
東アジア反日武装戦線は、8人が死亡した三菱重工ビル爆破事件など、12件の連続爆破事件を起こしました。そのなかの1件が、銀座にあった韓国産業経済研究所を狙ったものです。桐島容疑者は、この事件に関わったとして指名手配されました。しかし、捜査関係者によると、病院で桐島を名乗る男は、この事件への関与を否定していたといいます。
その一方で、新たに関与をほのめかしていたのは、北青山にあった大手建設会社『間組』の本社爆破事件です。当時“ダムのハザマ”と呼ばれ、海外でのダム建設を数多く請け負っていた間組。しかし、マレーシアの建設現場では、住民が反対運動を行っていました。東アジア反日武装戦線は、それに呼応するため、標的にしたとされています。
この事件では桐島容疑者は、指名手配されてはいませんでした。それをあえて口にした、桐島を名乗る男。その意図は分かりません。
https://www.khb-tv.co.jp/news/15141199
なんやなんや
死ぬ前にいろいろ喋ってるやんけ
どんだけ出てくんねん
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