1砂漠のマスカレード ★2019/12/17(火) 08:18:24.83ID:1YdlArVG9 スクランブルだ、テラスだ、ストリームだ、フクラスだ、ソラスタだ、と続々再開発ビルの産声があがり近頃喧しいのが渋谷だが、渋谷と並ぶ代表的な副都心といえば池袋。地味ながらどっこい、池袋が最近がんばっている。
池袋のイメージといえば「ダサい」が定番。おまけに治安が悪い、風俗街がキモい、道が汚い……。東京人の多くが池袋と聞いてなんとなく思い浮かべるのがこうしたあまり「よろしくない」イメージだ。
池袋は戦後の闇市の整備が遅れたことが最初の躓きだった。
1950年代頃から駅周辺には木賃アパートが密集し、淀橋浄水場の跡地を超高層ビル群に変貌させた新宿や、
東急電鉄という大地主により計画的かつ積極的に開発が行われた渋谷に対して、池袋は常に後塵を拝してきた。
「埼玉県の植民地」と呼ばれる一大ターミナル駅
それでも高度経済成長時代以降、拡大する人口の受け皿として池袋を起点とする西武池袋線、東武東上線沿線の人口が急増。
池袋駅は都内に通勤する勤労者が乗り換える一大ターミナル駅へと成長してきた。
JR駅別乗客数ランキングでも池袋駅は1日平均で約56万人が利用、新宿に次ぐ地位は不動のものだ。
70年代には駅西口に東武百貨店、東口に西武百貨店という、なんだか道に迷いそうなアクセスながら大型商業施設が店舗を構え、沿線住民の消費を支えてきた。
だが、渋谷が東横線や田園都市線でお洒落でセレブなイメージを、新宿が中央線、京王線、小田急線、西武新宿線によって高級住宅街のイメージを作り上げていったのとは対照的に、
池袋は埼玉県の住民が多く集まったことから「ダサイたま」といって揶揄されるイメージが重なり、「埼玉県の植民地」などと言われるようになったのだ。
「消滅可能性のある自治体」に選ばれた豊島区
埼玉県民御用達の街・池袋に転機が訪れたのは、86年のJR埼京線開通だった。それまで埼玉県の沿線住民は、東京の各所に出るためには必ず池袋駅で一旦乗降していた。
必然として、そうした人たちが駅構内や周辺で買い物をすることで池袋の発展は支えられていたのだが、この路線の開通によってストレートに新宿や渋谷と繋がってしまったのだ。
さらに2004年には湘南新宿ライン、2008年には東京メトロ副都心線が開通。特に副都心線は渋谷と池袋を繋ぎ、東武東上線や西武池袋線と相互乗り入れで直通運転を行ったために、
埼玉県民は池袋をスルーして新宿や渋谷に出てしまうのではないかと危惧された。
さらに池袋に対する危機感が露わになったのが2014年、池袋が属する豊島区が日本創成会議から全国に896ある「消滅可能性のある自治体」の一つに名指しされたことだ。
ワンルームマンションを作らせない措置に踏み切ったが……
この状況の背景として指摘されたのは、池袋周辺のマンションが投資用の狭小ワンルームマンションばかりでファミリーが住めず、
単身者も結婚をすると池袋周辺には適当な部屋がないので区外に脱出してしまうといった悪循環の存在だった。
そこで豊島区は2004年に狭小住戸集合住宅税を導入して、マンションで戸当たり面積30平米未満の住戸を作る場合には、戸当たり50万円を徴収することにした。
しかしこれだけでは効果は少なく、2014年には一定規模以上のマンションの新築にあたって、住戸面積は最低でも25平米以上とすることを条例で定め、事実上ワンルームマンションを作らせない措置に踏み切った。
しかし、既に建ってしまっているワンルームマンションに集まったのは外国人で、その多くが中国人だ。
池袋周辺のワンルームマンションは、平成バブル期にサラリーマンなどの節税用投資マンションとして販売されたものが多い。
初めのうちは学生や若いサラリーマン層が入居していたが、建物の老朽化や競合の激化を背景に次第に競争力を失い、賃料も5万円から6万円程度に落ち込み、やがて外国人が好んで住むようになったのだ。
2018年における豊島区の新成人のうち外国人が占める割合は38%にも達し、駅北口には中華料理店が林立、怪しげな風俗店も軒を連ねるチャイナタウンとなっている。
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20191217-00018959-bunshun-bus_all
12/17(火) 6:00配信
374名無しさん@1周年2019/12/17(火) 12:55:05.05ID:JWACG2QU0
まぁ池袋はぼったくり風俗のキャッチ兄ちゃんが多過ぎるな
こないだ声かけてきたから「うるせぇ」って言ったら「俺をナメんなよ?あ?」とイキってきたから手が出そうになった