1首都圏の虎 ★2020/01/01(水) 10:37:00.83ID:NDi3WIIJ9 偽装請負騒動の「渦中の人」へ
リーマン・ショック後に日本企業が「派遣切りラッシュ」へと一斉に走り、派遣切りされた労働者たちが年末、日比谷公園の年越し派遣村に集ったのはいまから約10年前のことである。
今年、46歳となる岡田正雄(仮名)はいま、機械関係の仕事をしている。当時もそうだったように、いまも非正規社員である。
岡田はあのころ、パナソニックのプラズマ・ディスプレイ工場の作業を請け負う会社からパナソニックに送り込まれて、仕事をしていた。ちょうど世間が「偽装請負」騒動で揺れた時期。岡田もその渦中に巻き込まれた。
きっかけはある日、パナソニックの統括班長から「悪いようにはしないので、別の請負会社に移籍してほしい」と言われたことだった。岡田が実態を調べてみると、いま所属している請負会社の時給は1350円だったのに対し、移籍先の時給は1100円。統括班長の言葉に反し、時給が減額されることが分かった。
労組の支えを得られない非正規労働者にとってこれを拒否することは、仕事を失うことに等しかった。しかし黙って受け入れると、あまりにも自分たちの立場を貶めることになる。
ついに岡田は労働法が専門の弁護士に相談した。しかし、これが彼の人生を大きく変えることになってしまう。
「当時は懇意にしていた班長にウソをつかれたことが一番、ショックだった。僕の働き方が違法であることも明らかでした。そこで弁護士と相談の上、05年5月に大阪労働局に告発したんです」
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刻まれた深い傷
大阪労働局からパナソニックに是正指導があったのは、それから約2ヵ月後のことだった。パナソニックは偽造請負の違法状態を是正し、岡田は8月に晴れてパナソニックと直接雇用契約を結んだ。
ところが、その際にパナソニックが用意したのが隔離されたテントをおいた作業場であり、岡田はそこで製造過程でミスのあったプラズマ・ディスプレイに薄く張られたシートを竹串などを使ってひたすら剥がすという途方もない仕事を課せられたのだ。
「まぎれもない報復行為だった。それはつまり『早くやめろ』という意思表示の何物でもなかった」
人の尊厳を奪うやり方は、いまでも岡田の心に大きな傷を残している。岡田は出会った当初から、この当時の話を始めると、天をぎょろりと見上げ、唇を震わせながら話をする。それはいまでも変わらない。
当時の記憶を、鮮明な映像として脳裏によみがえらせようとしているのだろう。この岡田の怒りが、その後の彼の人生に大きな影響を与えたことは、想像に難くない。
それでも当時の岡田は、意味のない作業を黙々と続けたという。
「一日、一枚シートをはがすのがやっとでした。一枚できると班長にディスプレイを持っていった。一枚目を持っていったとき、班長は『こいつ、本当にやってるのか』という困惑の表情を浮かべていました。そして『次のパネルをはがせ』と僕に指示を出してきた。
全員が参加する朝会の出席は認められないし、社内報も僕だけ見せてもらえない。社員や他の非正規労働者とすれ違っても、もう誰も僕に声をかける人はいない。
ある日、僕が掲示板を見ていると、後ろから手が伸びてきて、その掲示板は裏返されました。相手は日本の大企業ですよ。こんないじめ、想像できますか。たぶん刑務所に入るよりもひどかったと思う」
派遣切りの末に
それでもひたすらパネルをはがし続けた。なぜ彼は辞めなかったのか。
「確かにそうですね。でもパナソニックと僕の直接雇用契約にはわずか5ヵ月という期限が設けられていた。つまりいくら頑張ってもあと5ヵ月で、どのみち僕は契約満了でクビになることが決まっていたのです。
僕は違法な働き方を是正するように、労働局に訴えただけです。制度にのっとって『法律を守ろう』と言うと犯罪者よりもひどい制裁を受けるのが、この国の姿だった。
でもね。ここまで酷い仕打ちを受けると、やり返したくなるのが人間でしょ。あのころの僕は、闘争心しかありませんでした」
全文はソース元で
1/1(水) 9:01配信
現代ビジネス
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200101-00069547-gendaibiz-bus_all&p=2
790名無しさん@1周年2020/01/01(水) 13:55:44.93ID:BJmN0QXX0>>764
いや、無職と派遣どっちがマシか?って話なんだが、お前は無職がいいの?w
あと派遣でも条件満たしてたら、雇用保険だけは入るぞ?