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西武×ヤクルト"伝説"となった日本シリーズの記憶(35)【背番号1】ヤクルト・池山隆寛前編四半世紀の時を経ても、今もなお語り継がれる熱戦、激闘がある
元スレ
1砂漠のマスカレード ★2019/09/13(金) 11:06:24.99ID:2N+N/zJB9 西武×ヤクルト "伝説"となった日本シリーズの記憶(35)【背番号1】ヤクルト・池山隆寛 前編
四半世紀の時を経ても、今もなお語り継がれる熱戦、激闘がある。
1992年、そして1993年の日本シリーズ――。当時、"黄金時代"を迎えていた西武ライオンズと、ほぼ1980年代のすべてをBクラスで過ごしたヤクルトスワローズの一騎打ち。
森祇晶率いる西武と、野村克也率いるヤクルトの「知将対決」はファンを魅了した。
1992年は西武、翌1993年はヤクルトが、それぞれ4勝3敗で日本一に輝いた。両雄の対決は2年間で全14試合を行ない、7勝7敗のイーブン。両チームの当事者たちに話を聞く連載の18人目。
第8回のテーマは「背番号1」。前回の西武・秋山幸二に続いて、ヤクルト・池山隆寛のインタビューをお届けしよう。
【野村監督によって覆された池山の野球観】
――1992(平成4)年と翌1993年、スワローズとライオンズとの2年にわたる日本シリーズについてみなさんにお話を伺っています。
池山 今思えば、ヤクルトが一番強かった時代だし、その中で自分も主力として野球に携われた頃だったので、すごく思い出深いですね。
あの2年間の日本シリーズで、僕は要所で活躍ができたので、「鮮明」とまでは言わないけど、記憶に残っていることをお話したいと思います。
――1990年に「ID野球」を標榜する野村克也監督が就任以来、スワローズは劇的な変化を遂げていきました。その象徴のひとりが池山さんだったと思います。
就任当初、野村さんは池山さんに対して、かなり辛辣なことを述べていましたね。
池山 監督に就任してすぐに、野村監督が「タレントはいらない」と言っているということを、報道で知りました。「タレント」とは、間違いなく僕のことですよね(笑)。
その後も、「三振を減らせ」ということで、足を高く上げてスイングすることを禁じられたり、フルスイングではなくコンパクトなスイングを求められたり、自分なりに葛藤はありました。
でも、1992年に優勝して、チームの結果が伴うようになってから、その葛藤も少しずつ減っていったような気がします。
――「ブンブン丸」と呼ばれ、豪快なスイングによる特大ホームランが魅力だった池山さんにとっては、それまでとはまったく異なる野球観を求められたわけですからね。
池山 大きく足を上げてスイングしていた自分が、場面に応じてあまり足を上げずにノーステップで打つこともありましたから、その点は大きく野球観が変わりましたね。
その葛藤はリーグ優勝で報われて、日本シリーズで見事に形になりました。1993年の第4戦で打った決勝の犠牲フライが、まさにノーステップで打ったものでしたから。
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190913-00871120-sportiva-base
9/13(金) 9:57配信
13名無しさん@恐縮です2019/09/13(金) 11:17:09.41ID:0Q7iu0UGO
どちらも韓国系
24名無しさん@恐縮です2019/09/13(金) 11:29:46.25ID:/o7YHseW0>>13
うそつけ。証拠見せろよ。
49名無しさん@恐縮です2019/09/13(金) 12:09:32.08ID:jtJH0sM00>>24
広澤は朝鮮系って有名だろ
1983年に帰化済み
崔寅鎬
290名無しさん@恐縮です2019/09/14(土) 04:28:12.62ID:XD6EUjQV0>>49
日本名と全然違うじゃねーか
324名無しさん@恐縮です2019/09/14(土) 16:52:00.20ID:9XtdmEME0>>290
新浦壽夫 だって 金日融 なんだから全然違うのは珍しいことではない
327名無しさん@恐縮です2019/09/14(土) 17:10:12.13ID:ZfIAbzQm0>>324
金田正一は日本名のせいで、本名は金正一(キムジョンイル)じゃないかと思われてたんだけど
本当は金慶弘で全然違うんだよな。
47名無しさん@恐縮です2019/09/13(金) 12:05:44.09ID:x8M6+ZLu0
広沢は帰化人だけど池山はつり目なだけで日本人だろ
102名無しさん@恐縮です2019/09/13(金) 13:32:03.09ID:HFN22KUz0>>47
大阪市立大学教授の朴一が池山の家庭教師を経験してて、
「在日の同胞」として、その人となりを話してたよ@大学の講義中のひとコマ。
あのおっさんは、口が軽すぎるんだよなー。
333名無しさん@恐縮です2019/09/14(土) 17:43:17.56ID:wPPSy+A+0
今年だけでこの記事、二回目だな
1砂漠のマスカレード ★2019/09/13(金) 11:06:24.99ID:2N+N/zJB9
西武×ヤクルト "伝説"となった日本シリーズの記憶(35)【背番号1】ヤクルト・池山隆寛 前編
四半世紀の時を経ても、今もなお語り継がれる熱戦、激闘がある。
1992年、そして1993年の日本シリーズ――。当時、"黄金時代"を迎えていた西武ライオンズと、ほぼ1980年代のすべてをBクラスで過ごしたヤクルトスワローズの一騎打ち。
森祇晶率いる西武と、野村克也率いるヤクルトの「知将対決」はファンを魅了した。
1992年は西武、翌1993年はヤクルトが、それぞれ4勝3敗で日本一に輝いた。両雄の対決は2年間で全14試合を行ない、7勝7敗のイーブン。両チームの当事者たちに話を聞く連載の18人目。
第8回のテーマは「背番号1」。前回の西武・秋山幸二に続いて、ヤクルト・池山隆寛のインタビューをお届けしよう。
【野村監督によって覆された池山の野球観】
――1992(平成4)年と翌1993年、スワローズとライオンズとの2年にわたる日本シリーズについてみなさんにお話を伺っています。
池山 今思えば、ヤクルトが一番強かった時代だし、その中で自分も主力として野球に携われた頃だったので、すごく思い出深いですね。
あの2年間の日本シリーズで、僕は要所で活躍ができたので、「鮮明」とまでは言わないけど、記憶に残っていることをお話したいと思います。
――1990年に「ID野球」を標榜する野村克也監督が就任以来、スワローズは劇的な変化を遂げていきました。その象徴のひとりが池山さんだったと思います。
就任当初、野村さんは池山さんに対して、かなり辛辣なことを述べていましたね。
池山 監督に就任してすぐに、野村監督が「タレントはいらない」と言っているということを、報道で知りました。「タレント」とは、間違いなく僕のことですよね(笑)。
その後も、「三振を減らせ」ということで、足を高く上げてスイングすることを禁じられたり、フルスイングではなくコンパクトなスイングを求められたり、自分なりに葛藤はありました。
でも、1992年に優勝して、チームの結果が伴うようになってから、その葛藤も少しずつ減っていったような気がします。
――「ブンブン丸」と呼ばれ、豪快なスイングによる特大ホームランが魅力だった池山さんにとっては、それまでとはまったく異なる野球観を求められたわけですからね。
池山 大きく足を上げてスイングしていた自分が、場面に応じてあまり足を上げずにノーステップで打つこともありましたから、その点は大きく野球観が変わりましたね。
その葛藤はリーグ優勝で報われて、日本シリーズで見事に形になりました。1993年の第4戦で打った決勝の犠牲フライが、まさにノーステップで打ったものでしたから。
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190913-00871120-sportiva-base
9/13(金) 9:57配信
4名無しさん@恐縮です2019/09/13(金) 11:07:58.88ID:Mw/PRQB/0>>1
伝説ってことは、それだけ感動の試合だったわけか。
267名無しさん@恐縮です2019/09/14(土) 01:16:36.47ID:yD8PQmVH0
池山の成績とノムさんの監督のタイミングいま調べたら
池山が30本以上打ち始めたのが88年〜92年
ノムさんヤクルト就任が90年
あんま関係ないな
273名無しさん@恐縮です2019/09/14(土) 01:38:03.40ID:QdGpCNrU0>>267
まあ92年93年は前監督の関根の育成が芽吹いたのもあったのは事実だろう
野村にやらせるならある程度素材はいなきゃだめだったのは楽天と阪神で証明はされちゃったわけだが
野村は3位4位のチームを任せれば優勝争いに食い込む形はできたかもな
340名無しさん@恐縮です2019/09/14(土) 18:35:29.02ID:KCkF6ufG0>>273
野村は毒劇物だから(by江本孟紀)
野村ID野球が最も結果を出したのは負け犬根性
と巨人コンプレックスの払拭
当時のヤクルトを日本一にまで導いたのはこれの
おかげと言っても過言ではない
222名無しさん@恐縮です2019/09/13(金) 19:24:03.35ID:JlXdOURr0
一茂が練習後にグランドで座っているところに来て、おもむろに一茂のグローブを弄りだした池山
池山「・・・いいグローブ使ってるねえ。どうして取れないの?」
354名無しさん@恐縮です2019/09/15(日) 03:29:51.78ID:SuyNJyzv0
ノムが来る直前に、オフの野球選手のど自慢みたいので、池山は少年隊を歌ってな
少年隊と同じギンギラの衣装でヘアバンドして
ノムがヤクルト監督に決まって真っ先に、
「なんやあいつハチマキしてテレビ出て。どこの魚屋の兄ちゃんや」とボロクソ
野村ヤクルトの開幕戦も池山は八番でな
関根ヤクルトののびのび野球の象徴だから、ノムも池山を集中的にマークして、チームを引き締めたというかね
367名無しさん@恐縮です2019/09/15(日) 18:31:24.14ID:vYmxpDSh0>>354
あれは斎藤が苦手だから
秦と荒井で左続けたかったからじゃなかった?
池山は怪我とか休養以外で外されたのはないけど
とましのとか栗山とか女性人気高い選手本当嫌いだよなあ
241名無しさん@恐縮です2019/09/13(金) 22:41:23.96ID:e7jdvArH0
今思えばヤクルトがよく野村を招聘したよな
関根の後は武上再就任か若松現役引退即監督っていう手もあったのに
ちなみに武上は80年にヤクルトを2位にまで押し上げている
254名無しさん@恐縮です2019/09/14(土) 00:12:22.59ID:IC7lJ47Z0>>241
もし野村を招聘出来なかったら…
あの当時なら大杉、大矢、安田、松岡あたりかな
大杉は大洋の打撃コーチが決定していたけど
誰もなり手がいなくて若松がそのまま監督になっていたかもな
316名無しさん@恐縮です2019/09/14(土) 13:30:17.35ID:6w9Abbfz0
在日同士
317名無しさん@恐縮です2019/09/14(土) 13:38:09.38ID:GEGRGPlA0>>316
そう言ってやるなw
あんまり言い過ぎると芸スポ名物の>>308のような在日チョンの工作員が
同族の悪口を言われたと難癖付けてしつこく粘着質にからんでくるぞw
池山やジュニアの典型的なモロのチョン顔の2人を見て
日本人だなんて言うバカな視聴者は居ないってのw
そんなコト言う奴は>>316のような周りに池山やジュニアのような
ツリ目でエラ張り持ちのモロのチョン顔を近くで見慣れてる在日チョンだけw
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