1記憶たどり。 ★2019/10/30(水) 10:37:28.93ID:W/mGB5+09 https://www3.nhk.or.jp/news/html/20191030/k10012156451000.html

75年前の昭和19年に旧日本軍が初めて行った飛行機による体当たり攻撃、いわゆる「特攻」を受けて沈没した
アメリカ海軍の空母をアメリカのチームがフィリピン海の海底で発見し、その映像を公開しました。

アメリカ海軍の小型空母「セント・ロー」は、太平洋戦争で輸送船の護衛に従事し、フィリピンのレイテ島への
上陸作戦に参加していた昭和19年10月25日、飛行機に爆弾を搭載して体当たりする、旧日本軍のいわゆる
「特攻」を受けて沈没し、143人が死亡しました。

第二次世界大戦で沈没した艦船の調査を行っているアメリカの財団の調査チームは、ことし5月にフィリピン海の
深さ4736メートルに沈んでいる「セント・ロー」を発見し、無人の調査艇で船体を撮影することに成功しました。

今月、公開された映像からは船体に施された迷彩の塗装や、刻印された文字がくっきり読み取れるほか、
強い力を受けてひしゃげたとみられる飛行甲板が確認できます。

「セント・ロー」を沈没させたのは、関行男大尉率いる「敷島隊」だとされ、日本軍が組織的に行った
初めての特攻と位置づけられています。

この作戦での戦果を受けて陸海軍は、特攻作戦を本格化させ、終戦までにおよそ4000人が戦死したとされています。

旧日本海軍の歴史に詳しい広島県の大和ミュージアムの戸高一成館長は「初めての特攻作戦が大きな戦果を挙げたことが、
軍がその後、特攻に傾倒していくきっかけとなった。日本にとっても重い意義を持つ発見だ」と話しています。

740名無しさん@1周年2019/10/31(木) 12:03:36.25ID:bV7S/SiB0>>721

福留はマリアナ海戦の直後に岡村大佐の提言を取り上げて特攻の意見具申をしているから
しぶしぶ大西に従ったというのもあやしいぞ

大西(第一航空艦隊長官)「特攻やるぞ」(一番最初に自分の艦隊に命令しただけ)
福留(第二航空艦隊長官)「一緒にやるぞ」
小澤(第三艦隊長官)「うちもやらせるぞ」
豊田(連合艦隊長官)「俺も俺も」(こいつが最高指揮官)

戦後
大西自決
福留・小澤・豊田「全部大西の決断」

720名無しさん@1周年2019/10/31(木) 08:57:17.14ID:sF2zPC+X0>>649

それは知らないけど出来るよ。
アメリカ軍の輸送船やタンカーは10.000〜20.000km航行できる。
ポリネシアに何ヵ所か中継基地を作ればできたいかと。
何ヵ所かっていうのは距離の問題ではなく規模の問題。