1首都圏の虎 ★2020/01/02(木) 09:32:39.10ID:wOPDg8BC9 2019年後半の日本社会を大きく揺るがした出来事といえば、「表現の不自由展・その後」が一時中止に追い込まれた「あいちトリエンナーレ2019」だった。
政治家が検閲をにおわせ、文化庁は運営に必要な補助金約7800万円を交付しないことを決めた。
「不自由展」に展示されていた少女像や昭和天皇の肖像を燃やす作品に「不快な思い」をした人がいて、抗議が殺到したことが背景にある。
「そもそもアートは心に傷を付ける。心を回復させる娯楽とは違う」ーー。そう語るのは社会学者の宮台真司さんだ。
「こうした基本的なことでさえ、行政、政治家、そして市民までもが分かっていないことに驚きました」
アートは人を傷つける?どういう意味なのだろうか。宮台さんに語ってもらった。
表現の不自由展の3つのポイント
まず、誰にでも思いつく、「表現の不自由展・その後」のポイントは3つあります。
第1に、展示に「抗議をしたい」のなら、市民も政治家も自由にやればいい。それを受け入れるかどうかはアーティストや美術館側の問題です。ただ「抗議を受けた」程度で展示を取り下げれば、アートが社会に媚びたことになる。今回「抗議されて中止した」という印象を特に外国に与えたのは、不幸です。
第2に、「脅迫」など違法性のあるものは警察が対処するべきです。捜査人員も含めて、警察の対応が不十分だったのなら、警察が批判されるべきです。仮に首相官邸が同種の恫喝にあえば、警察は全力を挙げて警備するでしょう。今回の印象では、警察が問題をさして深刻に捉えていなかったようです。
第3は、政治家による補助金カットを匂わせる恫喝は問題です。憲法問題以前に、文化芸術基本法 (※)の理念に反し、論外です。
※2017年に文化芸術振興基本法から改正。「文化芸術の礎たる表現の自由の重要性を深く認識し,文化芸術活動を行う者の自主性を尊重する」ことが前文に書かれている
週末の風呂とは違う「アート」
「表現の不自由展」で大きな波紋を呼んだのは、慰安婦像をモチーフにした少女像の展示だ。現地を視察した名古屋市の河村たかし市長は「どう考えても日本人の、国民の心を踏みにじるもの。いかんと思う」とコメントをして、展示の中止を求めた。
河村市長は分かっていませんが、ロマン派に始まる近代アートは「人の心に傷をつける」ことが目的です。比べると、娯楽は、文字通りレクリエーション(回復)です。疲れた人が作品に触れ、笑ったり泣いたりしてカタルシスを得て(心がスッキリして)「頑張ろう」と思う。週末に浴びる風呂みたいなもの。
一方、アートはそうではない。「社会の中」に閉じ込められている人々に「社会の外」を突きつける営みです。
世界は、人々が思っているようなものではないことを突き付けるのです。だから娯楽と違って、アートに触れた以上、元の姿では社会に戻れないようにします。要は心に回復しない傷をつけるのです。
少女像の作品自体の評価はあえて脇に置くと、この像が想起させる「慰安婦問題」「日韓の歴史認識の食い違い」ゆえに、少女像を見た人の一部は「不快だ」「自分の心を傷つけられた」と感じるでしょう。でも、心を踏みにじること自体はアートにつきもので、それ自体には何の問題もありません。
古代ギリシャの歴史からみるアート
そもそも、今回のあいちトリエンナーレの展示にかぎらず、映画、絵画、小説、舞台には、心をえぐるような過激な表現はたくさんある。どうしてアートは私たちを“傷つける”のだろうか。
根本的なことから説明しましょう。娯楽や見世物と区別されたアートは、近代西欧の概念です。その前身は「神への捧げ物」という非日常。「神への捧げ物」を終わらせたのが14?16世紀のルネッサンスです。でもそこで始まったのは貴族の肖像画。「神への?」が「貴族への?」に変わっただけでした。
2019年12月30日 16時32分 JST HUFFPOST
https://www.huffingtonpost.jp/entry/shinji-miyadai-interview_jp_5e06a0c4c5b6b5a713ae3f5b
539名無しさん@1周年2020/01/02(木) 10:43:54.63ID:PaIs0Clg0
ネット掲示板も生半可な覚悟で見るなよ。 そもそも掲示板見てヘイト言うな。