1◆mZB81pkM/el0 (茨城県) [ニダ]2019/09/14(土) 22:42:41.14ID:4Vfqdil80●?PLT(13345)
「祖国は地上の楽園」との北韓当局と朝総連の虚偽宣伝および日本政府と政党の積極的協力と日本マスコミあげての北韓体制賛美キャンペーンのもとで推進された「北送」開始から60年になる。
この「事業」で日本人妻を含む、9万3340人の在日同胞が北韓に渡った。
彼らが待ち受けていたのは日本でよりもはるかに厳しい生活だった。
当時、「帰国事業」の宣伝部隊として携わった呉文子さんに朝総連と北送、そして、元朝総連幹部だった父との葛藤などについて語ってもらった。(インタビュー形式)
◆その思いに陰りをみせるきっかけは
当初父は北への「帰国」事業を反対していたわけではないんですよ。それは父、関貴星(呉貴星=元在日朝鮮人商工連合会理事、総連中央本部財政委員)が60年8月、「8・15朝鮮解放15周年慶祝使節団」24人の一員として北に約1カ月招待され、現実を見て来たことが大きな契機となりました。
慶祝使節団一行には参議院議員の安部キミ子を団長に、北を礼賛した『38度線の北』の著者・寺尾五郎もいました。
滞在中、清津に向かう車中でのこと、帰国した青年たちが寺尾に向かって「僕たちはあなたの本を読んでこの国にやって来たんだ。あなたの書いていることと全く反対ではないか。騙されて一生棒に振った僕たちをどうしてくれる」、と抗議する場面を目撃します。
さらには地元の岡山から「帰国」した友人たちとの面会さえも許されなかったのです。そればかりか、平壌の街を自由に歩くこともできない閉鎖社会だったと。父は日本に戻ってから、北の実状を朝総連側に訴えます。
「朝鮮戦争休戦からわずか7年、廃墟と化した国土の復興と再建の真っただ中で、ゆとりなどあるはずがないのに、『体一つで帰ってくればよい』『祖国はすべて用意して待っている』と欺瞞宣伝を繰り返しているが、「帰国」希望者には北の現実を伝え、厳しいけれども社会主義建設に身を捧げることを覚悟した人々が帰るべきだ」。
「物資のない、厳しい現実を受け止め、一本の釘や古着でも捨てないで大切に持ち帰るよう、楽園に帰るなどという甘い考えを捨て、現状をありのままに知らせるべきではないか」。
帰国協力会の幹事の一人だった父は、真実を隠して「帰国」させてはならないと、訴えつづけたのです。
しかし、「地上の楽園」へと沸き立っていた頃なので、「帰国」事業への妨害だと朝鮮総連から「反動」という烙印まで押され、激しく非難されました。
北に骨を埋めたいとまで願っていた父でしたが、帰国を諦めるばかりか62年には、北の実態を告発した『楽園の夢破れて』=写真=を出版したのです。
朝日新聞を含め、日本のマスコミも諸手を挙げて、「素晴らしい国」「地上の楽園」と報じていましたから、私は疑わなかったんですね。
ですが、帰国者の親族が北を訪問するようになり、北の情報が徐々に伝わり、「帰国」希望者が減少し、私も疑問を抱くようになります。(つづく)
https://www.mindan.org/news_view.php?number=989
https://www.mindan.org/upload_files/news/%E5%9C%B0%E5%9F%9F%E4%BD%8F%E6%B0%91%E3%81%A8%E3%81%97%E3%81%A6%E7%94%9F%E3%81%8D%E3%81%A609-33-18.jpg
40黒(やわらか銀行) [US]2019/09/14(土) 23:12:31.64ID:ttwMUc2H0
いやいや間違いなく楽園ですよ
さぁ帰りなさい。